
最近、やっぱり、私は、狭い世界で生きているのだなと、思うことがありました。
私は、色んなコミュニティに入れるほど、リアルでは活動的ではないので、どうしても世界が狭くなっていました。
でも、今では、ネット上の世界が その視野を広げてくれて、助けてくれています。
内向型の傾向でもあるんだけれど、私はめちゃくちゃ深く物事を考えているんだねと言われることがあります。
生まれてからこれまで、自分では当たり前のように繰り返してきた考え方です。
そして、「真面目だね」と言われることも多い。
そんなつもりもないから、いつもなんだか変な感じがする。
(いつもなんだかすごくふわふわ生きていて、全然真面目だと思っていないんだよなぁ。)
そうして、その言葉への違和感に、心が過剰反応してしまいます。
そうそう、その感覚。同じ人々がいた。
そんな時、あるネット番組で、読書や美術について熱弁している人たちを見ました。
様々な国の古典が読める岩波文庫の魅力について熱く語る人。
現在ある絵の具がない時代、有名画家の色がどうやって生み出されていたのか語る人。
美術館で、美術作品を壁に飾る時、あと数センチ右に動かそうかと悩む人。
そして、それを興味深く聞く人々。
同調する人々。
その熱量や、興味の深さ、心持ちにとても共感しました。
感覚が同じ感じがしました。
波長が同じ感じが、とても心地よく感じました。
そして、自然に語る姿がとても印象的でした。
自分と同じ感覚の人たちがいて
それを自然に受け入れているコミュニティがあるってことを
実際の映像で見ることができて、
私も孤独じゃないな、と心から安心しました。
そして、私は私のままでいいんだって確認したかったんだなって気づきました。
つまりは、自分の感覚が人には異質に捉えられるのかなって思う恐怖心が嫌だったんだな。
これまでの経験から築いてきた、少数派のコンプレックスのようなものもあったかもしれない。
同じ感覚のコミュニティの存在を感じることが安心感になった。
自分の周りに、自分と同じような感覚の人があまりいなくて、悲しいけれど、
ネットの世界で、自分と同じような性質の人が見つけられたら、安心できます。
そうしたら、自分と違う感覚の人々のことも、受け入れることができると思います。
だから、いつも捉え方を柔らかに。
そして、広い世界があることを思い出したい。
心が過剰反応をした時こそ、冷静に、時間を置いてみようと思います。
心が冷たくなりそうになったら、温める方法を探そうと思います。
そして、ネット上でも、リアルでも、
やっぱり自分と同じ感覚の人たちと出会っていきたいなぁ。
そんなコミュニティを見つけたいなぁ。
そして、自分と違う感覚の人たちと、感覚の違いを互いに楽しめる、
心の余裕を持ちたいなと、思います。
そしたら、もっと世界は広がるんじゃないかと、思います。